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ポールのイスラエル公演 [ポール・マッカートニー]

まずはBARKSニュースのサイトにこの様なニュースがあります。
http://www.barks.jp/news/?id=1000037474
一言で言いますと1965年にビートルズがイスラエルで
コンサートを開こうとしたら許可が下りなかった事を
イスラエル政府が謝罪しています。

それに対しまして VARIETYの記事としてYahoo!ニュースで
下記を報じています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080826-00000006-vari-ent
これによりますと9月25日(木)にテルアビブでポールの
コンサートが開かれることになりました。

ここで終わっていればビートルズが果たせなかった公演や
イスラエルの人にとってはかなえられなかった公演が
かなうということで感動ものでした。

しかし、ここで終わらないのは根の深い中東問題があるからです。
Yahoo!ニュースから以下のニュースが出てきました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080914-00000018-jij-int
簡単に述べますと、イスラエル公演を中止しなければ、
自爆テロの標的になるとの脅迫があったとのことです。
詳細は基ネタのサンデー・エクスプレスのサイトを参照して
頂ければと思います。。
http://www.express.co.uk/posts/view/61355/Sir-Paul-Terror-target

このニュースはもう既にお知りの方が多いかと思いますが、
この話題はいろいろと難しい問題を含んでいます。
それを顧みず敢えて書かせてもらいます。

まず歴史背景としましてユダヤ人は第2次世界大戦までは
自分たちの国が無く世界中に散らばっていました。
イギリスなどは第2次世界大戦でユダヤ人の協力を得るために
協力の見返りとして国を作ることを約束しました。
そうしてイスラエルが建国されましたが、周りのイスラム教の
国々から反発があり現在まで何度も戦争が起きています。

実際に私がリバプールに留学していた時の同級生に
リビア人がいまして、その人に私がイスラエルに
行くという話しをメールしましたら、「イスラエルは
国ではない。イスラムの土地を勝手に占領してきた
やつらだ。何でそんなところに行くんだ。」という
返事が返ってきました。
その後、リビアとイスラエルの関係を調べましたら
リビアはイスラエルにミサイルを打ち込まれていた
ことがわかりました。
上記のようにイスラムの人からすれば許すことの
出来ない国なんだと私は考えさせられました。

イスラムの一部(イラクやアフガニスタンで)と戦争状態に
なっているイギリスであり、イスラエル建国にかかわった
イギリスからナイトの称号をもらったサー・ポール・
マッカートニーがイスラエルでコンサートをするということは
相当の覚悟があってのことなのではないかと考えられます。
はっきり言って地位も富も名声も手に入れているポールに
とっては行かないという選択肢も十分あったと思います。
そこを敢えて火中の栗を拾いに行く理由を私なりに思う
ところを書いていきます。

まず、9・11を間近で体験してFreedomという曲を作り
テロとの戦いをサポートしてきています。
これに関しましてはgoigoi様のブログに歌詞などが分かり
やすく書いておりますので参照して頂ければと思います。
http://beatles.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/09/freedom_9d12.html
それとケベックでのコンサートも敵地で行うようなものでした。
詳しくは下記の記事へ。
http://thebeatles.blog.so-net.ne.jp/2008-07-22
ここでも述べていますがこれらの根底にはポールなりの
平和活動なのではないかと考えさせられてしまいます。
おそらくポールは自分が行くことで世界の人が
注目することを知っており、それによって平和になって
行くことを望んでいるのではないかと思います。

話が長くなってしまい最後まで読んで頂いた方に
お礼を述べると共に、このコンサートを日本から
注目してこのブログで報告していきたいと思っています。

ポール・マッカートニーのネクタイ(おそらく本邦初公開!!) [ポール・マッカートニー]

Paul tie 1.JPG
Paul tie 2.JPG
以前にこのブログでポールの人となりという記事を書きました。
http://thebeatles.blog.so-net.ne.jp/2008-07-06
その記事のもとになっていますスカウスハウスのカズさんから
その続報となる写真を頂きました。

ポールがLewis's department storeでネクタイを購入したのですが、
早速そのことがそのデパートで張り出されていました。(上の写真です)
商魂たくましければもっと目立つところで大々的に売り出しても
良いのですが、そこは150年以上の老舗デパートの奥ゆかしさなのか
写真の通りひっそりと宣伝に使っています。
カズさんが訪れた8月21日の時点でポールと同じネクタイは無かった
とのことでした。
本来ならビートル・ウィークという1年で一番ビートルズファンが
集まる時なのに同じネクタイが無い(既に売り切れ?)というのは
これまた商売っ気の無い奥ゆかしさ!?なのでしょうか?

また、スカウスハウスのカズさんとお話をしました時に言われましたのが
Lewis's が昨年閉鎖の危機にありました(カズさんによると去年の
うちにめでたく解決して、今では元気に営業していますが人が少なく
元気なさそうです)ので、ポールはそれを知ってわざわざ買い物を
しに行ったのではないかと推理していました。
私もスカウスハウスのメールマガジンでその記事
http://scousehouse.net/goldfish/goldfish83.htm
を読んだことを思い出してポールの人となりも合わせて考えますと
「まさにその通りだ!!」と思い、さすがカズさんだと思いました。

上記のサイトの抜粋を下に記載します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
リヴァプールの再生が進む傍らで皮肉にも、151年もの歴史をもつ老
舗デパート Lewis's が閉鎖の危機に瀕しています。
長期にわたった道路工事の影響で客足が遠のいたことが原因とのこ
とですが、外壁に 'STORE CLOSING' の巨大なバナーを見たときは、
複雑でした。どうにか買い手がついて救済されて、2008年を迎えること
を願います。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
上に書かれています写真はこちらで見られます。
http://scousehouse.net/goldfish/goldfish83_photo.htm

このニュースやネクタイ売り場の写真は既に誰か書いているかと思い
Yahoo!でポール・マッカートニー ネクタイとポール・マッカートニー 
ネクタイ 写真で検索しましてそれぞれ30ずつ見ましたが
見付けられませんでした。
もしかしましたらこれも本邦初公開かも知れませんです。
カズさん貴重なお写真を誠に有難う御座いました。

ケベックでのコンサート(ポール・マッカートニーのサイトから) [ポール・マッカートニー]

まだ、このブログで本家本元のポール・マッカートニーの
サイトを紹介していませんでしたので紹介します。
http://www.paulmccartney.com/

今回はその中でケベックでのコンサートのことを
紹介します。

ここではケベックのコンサートへのメッセージとして
400周年のお祝いなどを語っています。
映像部分の下のVideoという場所をクリックしますと
視聴できます。
http://www.paulmccartney.com/news.php#1384/2008-07
ここで更に楽しめましたのが、映像の最後でピアノを弾き始め
Lady Madonnaのイントロ部分を弾いていました。

こちらではBirthdayの曲のリハーサル風景が
見られます。
http://www.paulmccartney.com/news.php#1388/2008-07
ここではポールのアフロヘアー(かつら)で歌っています。

こちらのサイトで写真下のGalleryをクリックしますと
会場の雰囲気やステージ上のポールのアップの画像などを
見ることができます。
http://www.paulmccartney.com/news.php#1397/2008-07
さすが本人のサイトだけあって非常に綺麗な写真で、
まるで近くで見ているかのようでした。

ここでは映像が見られケベック公演への意気込みを語っています。
http://www.paulmccartney.com/news.php#1412/2008-07
私のリスニング能力では殆ど聞き取れず今晩楽しむということと
ボンジュール(こんにちは)、ボンソワ(今晩は)、ムッシュ(紳士)、
マダム(淑女)、メルシーボーク(有難う御座います)、オーバ(さようなら)
というフランス語の挨拶程度の言葉(私のような地球の歩き方を見て
覚えた程度の知識しかないものでも理解できる言葉)をしゃべっていました。

ここで最も気になったのがポールが後部座席でもちゃんと
シートベルトを着けていた事です。
カナダ(ケベック州)での道路交通法は知りませんが、日本では
今年の6月から後部座席でのシートベルト着用が義務化されています。
ポールの優等生ぶりを垣間見た気がしました。

シェイ・スタジアムの最後の公演 [ポール・マッカートニー]

少し前になってしまいましたが、メジャーリーグベースボールの
ニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スタジアムの最後の公演、
7月18日のビリー・ジョエルの公演にポール・マッカートニーが
サプライズゲストとして参加しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000919-bark-musi
こちらは経時的に書かれており臨場感の伝わるニュース記事です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080724-00000009-eiga-movi
こちらはコンパクトにまとまっています。

BBCやCNNではこの映像は見付けられませんでしたが
YouTubeには有りました。

まずはI Saw Her Standing Thereです。

http://jp.youtube.com/watch?v=0PPtgTcSeNQ&feature=related
こちらは曲の前後も見られます。


続いてLet It Beです。

http://jp.youtube.com/watch?v=Ynk6zCgUGlk
こちらは曲の前後も見られます。

http://jp.youtube.com/watch?v=UU0ikMVOAu4
こちらは近いところから撮影されています。

ポール・マッカートニーのケベックでのコンサート [ポール・マッカートニー]

ポール・マッカートニーのカナダ、ケベックでの
コンサートのニュースを見付けました。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7516711.stm

これによりますとフランス語を混ぜながらMCを行い
20万人以上のファンが参加したようです。

この記事を読んで知ったのですが、1759年にイギリス軍が
ケベックを含むNew France(フランスの植民地!?、フランスと
どういう関係か分かりませんが・・・)を征服しており、
会場の場所もその戦いで非常に重要な場所だったようです。
ですのでポールがここでコンサートを行うことは
不適切といっているアーティストや政治家がいました。

しかし、ポールはそのことに対してラジオ・カナダで
pipes of peace(1914年 第1次世界大戦中 のイギリスと
ドイツ間のクリスマス休戦の話)を吸う時だと言って
1993年の自分の曲を挙げて、これは友好のショーだと
言っていました。

この記事を読んで私が感じたのは、賛否両論のある
この地であえてコンサートを行ったのは、それは
ポールなりの平和活動なのかなと思いました。

因みにYouTubeでコンサートの一部を映像で
見ることができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=2v3-p-8UiRo
などでPaul McCartneyで検索してみて下さい。

ポールの人となり [ポール・マッカートニー]

Lewis's_Store_02.JPG私が日頃からリバプールやビートルズの情報源と
して非常に重宝しているスカウス・ハウスという
サイトがあります。
http://scousehouse.net/
メールマガジンを毎週発行しており、そこから
リバプールの情報(ビートルズやサッカー、芸術など)が
得られます。
現地で芸術関係の仕事をしている方が特派員として
おりますので情報はどこよりも優れているのでは
ないかと思っています。
実際、私がリバプール在住中でも観光案内所に
無いような情報も手に入り非常に役立ちました。
リバプールに住んでいなくても興味がある方でしたら
登録されることをお勧めします。


前置きが長くなりましたが、その中の記事で
【お札にサイン】というものがありました。
現在その記事はバックナンバーで見られるように
なるのを待っている状態です。
それまでは全文を以下に転載します。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
リヴァプールのデパートで偶然サー・ポール・マッカートニーに会って、
お話をして、サインまでもらったラッキーな人の話です。

3児の母リンゼイさんは5月1日、20ヶ月の赤ん坊ヴィニーくんを連れ
てルイシズ・デパートに買い物に行きました。
そしてサー・ポールは、同じデパートのネクタイ売り場にいました。
その日は彼のクラシック作品《Ecce Cor Meum (Behold My Heart) 》
プレミア公演が行われることになっていて、会場のリヴァプール大聖堂へ
行く途中、たったひとりでデパートに寄ってその日につけるネクタイを
選んでいたのです。

リンゼイさんの話です。
「ルイシズはあんまりお客さんが入ってなくて、その売り場にいたのは
私たちとその男の人だけだったの」
「すれ違った時にその人は赤ちゃんにハローって言って、私にも微笑
みかけてくれたんだけど、最初私は母の家の裏に住んでるおじさんだ
と思っちゃったのよね」
「『あの人何て名前だったっけ?』って歩きながら考えてて、やっと気が
ついたのよ。あら、ポール・マッカートニーだわって」
「それで彼のところに引き返して行って、サインいただけますかって訊
いてみたの」

でもリンゼイさんはサインをもらうのに適当な紙を持ち合わせていませ
んでした。
「それで、私は財布から20ポンド札を出して、これにお願いしますって
言ったのよ。彼はそれを見て笑って、こう言ったの。きっと君は僕より
お金持ちなんだろうねって!」

もちろんサー・ポールは、女王陛下の肖像の入った紙幣に快くサインし
てくれたそうです。
「ほんとに、ほんとにラヴリーでフレンドリーな人だったわ。ヴィニーを
抱っこしてくれて、ホワイト・チョコレートも分けてくれたのよ」
「ずいぶん長いこと私たちだけのためにおしゃべりしてくれたの。なんて
いい人なんでしょう」

その時サー・ポールが選んだのは、1本11ポンド99ペンス(約2500円)
のネクタイだったそうです。
もちろん大聖堂でのプレミア・ショウにはそのネクタイで臨みました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――


これを読んで思いましたのがポールの人となりが
表れている点です。
普通の人が行くようなデパートに1人で行き、そこで
会った人と話を楽しみファンサービスをするということです。
そして、そこで購入したネクタイでイベントに出ていったことです。
ポールぐらいでしたらわざわざ自分が買いに行かなくても
取り寄せられるはずなので、あえてこの様なことをしている
のだと思われます。
現にポールは時々公共の交通機関を使ったりして隣の人と
話を楽しんだりしていることを何かで読んだことがあります。

私も出くわしたいです。


私のゆかりの地巡りのタネ本によりますと
このLewisには3つのエピソードが有ります。

まず1つ目は1962年11月28日にお店のスタッフのために
最上階でビートルズがパフォーマンスをしたということです。

2つ目は短い間ですがポールがここの配達の
バイトをしていたということです。

最後はこのお店の裸の男性の銅像の下でジョンとシンシアが
いつも待ち合わせ場所に使っていたということです。

このお店は地元では日本で言うデパートの扱いですが
日本の様に豪華さはあまりないように思います。
私もここでセールの時に時々買い物をしました。
リバプールに行きましたら一度中をのぞかれては
如何でしょうか?
また、ジョンとシンシアにあやかって銅像の下で
待ち合わせするのも一興かと思います。
2人で行った人も別行動した後で会うのも如何でしょうか?
海外ですると新鮮で良いのではないでしょうか?

Anfield StadiumとWalton Hospitalとの位置関係 [ポール・マッカートニー]

Map01.JPG

大変遅くなりましたが前の記事に書きましたAnfield StadiumとWalton Hospitalとの位置関係です。直線距離で大体2 km弱の距離です。余談ですが、この地図はリバプールのバス路線図で観光案内所やバスのターミナルなどに置いてあります。ビートルズのゆかりの地を巡る時に非常に重宝しましたものの1つです。

ポールの生まれた場所 [ポール・マッカートニー]

私が6月18日に書きました記事の写真に追加です。
ついこの間の6月1日にLiverpool FC(LFC)のホーム、アンフィールド・スタジアムで行なわれましたコンサート、 ” リバプール・サウンド ” の中でポールが「ここ(アンフィールド)の近くで生まれた」というような内容を言っていました。
それがここの事です。
私は行くことができませんでしたが、行った人ならまだ脳裏に残っているのではないでしょうか?
地図の写真を遅れてアップさせる予定です。

このブログとポールの誕生日 [ポール・マッカートニー]

1851687
このブログの誕生をサー・ジェームス・ポール・マッカートニーの誕生日に合わせて行いました。
写真はポールの誕生地のWalton Hospital です。2006年の撮影の時点ではAintree Hospitalの一部だそうです。
今後、頻繁に記事は書けませんが、これから何卒宜しくお願いします。

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